JAM と SUPERCAR と 私

SUPERCARの解散が本日2005年1月18日、発表されました。
ええ、おそらくROCKIN’ ONやSNOOZERで大々的に取り上げられることでしょう。

SUPERCAR、そうです、僕がかつて大好きなバンドでした。しかし、昨年のツアー以降、
しばらく距離を置くことにして、離れていたところでした。ちょうど、大好きで相思相愛だった
恋人とかつてのようにどうにも噛み合わなくなって、情が移っていながらもフってしまわない
と自分を見失ってしまうかのような心境で。

元恋人と2度と連絡が取れなくなる、今まさにそんな心境です。どうせ再び連絡を取ること
はないのだけど、相思相愛だったころの思い出がしっかりと心に刻まれているから、元恋人
といえど胸が切なくなる想い。

バックに彼らのアルバムを順番にかけながら、そんな想いを書き綴ってみようと思います。


■1997年
SUPERCARとの出会いは、1997年秋、高校3年で受験勉強真っ盛りの頃。NHK-FMで
毎日21時~やっていたミュージックスクエアという番組の月間オープニングテーマで、
Luckyという曲が流れており、男女混声ツインボーカルの清々しさに一発でノックアウト。
そこからSUPERCARの名前が頭に記憶された。

当時は、中学3年からファンでいたJUDY AND MARY(以後JAM)の他、
COUNTDOWN TVあたりに出るところぐらいしか聴いていなかったので、ツインボーカル
というわかりやすさとこの曲のPOPS感(この曲はSUPERCARで唯一のPOPSである)が
なかったら、おそらくSUPERCARという名前が記憶されていなかったことだろう。
そうだったとしたら、きっと今のような音楽は聴いていなかっただろうし、今のような思考の
持ち主にはなっていなかっただろう。
ある意味奇跡的でもあり、必然でもあるのかな。


■1998年
当時はとにかく家を出て一人暮らしがしたいがために、国立の大学に入ろうとひたすら勉強
していた。一人暮らしして何をしようとしていたかというと、バンド活動など、音楽に打ち込み
たいと漠然と夢見ていた(当時ギターさえ触ったことないのに)。うーん、青い。
結局、より偏差値の高い都心の大学に先に合格してしまい、割と腑抜けな状態で受験した
希望していた国立大学にも合格してしまったことにも腑抜け、一人暮らしだとお金がたまら
ないという友人の意見、就職は民間を考えていたので都心から外れた地方の国立よりも、
都心部の私大のほうが有利そうという考えから、受験勉強の原動力となっていた一人暮らし
をあっさりやめてしまった。

春休みに地元のCD屋で目に留まったSUPERCARの文字列。記憶をたどって気になって
いたことを思い出し、妙に惹かれ1st スリーアウトチェンジ を購入。これまで聴いていた
音楽とは確実に異なった質感だったはずだが、そんなことを感じる敏感さもない中でも、
何か惹かれるものがあって、いつの間にお気に入りの1枚に。そして雑誌などでも
SUPERCARの文字列を追うようになる。

大学に入ってまず入った軽音で、早速SUPERCARが会話に上がったりしてさらに自分の
中でのランクが上がる。今となってはどうしようもない感じの趣味をもった連中の集まり
だったわけだが、当時洋楽さえ聴いたことのない自分にとって、何もかもが知らない世界で
周りがみんなすごいものに見えていた。

そんな中で彼らの新譜も確実に購入するようになっていき、彼らの推すアーティストを聞いて
みたり、学校で初めて体験したインターネットなどで情報を得て、彼らについての理解が
徐々に深まり、自分の音楽地図も少しずつ広がっていく。


■1999年
そんな中、99年 2nd Jump Up。当時ようやくレディオヘッドなども聞くようになり、この
アルバムはOKコンピュータを引き合いに出して評価されたりもしていた。自分の中でも
先端だ~なんて思っていたりもしていた(笑)

そのころアルバムのツアーなどやっているという情報もあったが、当時JAMのコンサート
(ライブとは違う意味合いを持たせてる)しか行ったことがなかったので、どういうものか、
そして一緒に行く人もいない中、今度機会があったら行こう、なんて心に秘めていたり。

8月、とうとう人生初のライブハウスデビューを渋谷クアトロで、した。一人で行くのも
初めて。会場の様子もよくわからない(クアトロだからなおさらわかりにくい)、そんな緊張
した状態で初体験。あまりの近さ、生っぽさに衝撃を覚えた。

ライブハウスの感じもうっすらわかり、一人で行く勇気もついたので、12月のOORright
ツアーにはクラブチッタと赤坂BLITZの2会場に足を運ぶ。


■2000年
この年からワンマン以外のイベントライブにも足を運ぶようになる。
ライブに行ける連れもできたり、なによりFUJIROCK、SUMMERSONICを通過して音楽的
に大いに地図が広がった。ロックだけでない音楽にも興味が芽生える。そんな自分の感覚
を一層芽生えさせてくれたのが、3rd Futurama。1曲目から、いきなり打ち込み、4つ打ち
の歌無しインスト。どの曲にもちょっとわかり易すぎるぐらいにエレクトロニックな音が強調
されていて、未来感を押し出していた曲群に大いにハマってしまった。ロックと打ち込みの
融合、みたいな曲群が自分にはとても斬新に映った。そしてライブでも映像が登場し、
ロックバンドとクラブミュージックの架け橋(実際は違うんだけど)に見えた。ロックの縦ノリ
一辺倒から、横ノリの気持ちよさを覚えたのもこの頃。SUPERCARを通じて友人に出会う。


■2001年
就職活動が無事終わると、残りの大学生活を生かして片っ端からライブに行きまくっていた。
年間44本。そんな中でSUPERCARは徐々に自分の中でもっとも好きなアーティストの一つ
になっていた。(これまでは最も好きなアーティストだった) それでも自分の気になる
アーティストをたどると全てSUPERCARを中心に繋がっているような感じがあり、特別な
存在ではあったが。
バンドサウンド以外への興味がどんどん高まっていく。そんな時代の空気はSUPERCARと
共有している感じがして、彼らもどんどんバンドサウンド以外の路線へ進んでいった。

YUMEGIWA LAST BOY。4つ打ちが恋に向かって気持ちを加速させる。SUPERCARを
通じて恋が生まれた。
恒例の冬のツアーでは、ある種ピークのようなものを感じた。アルバムが出ていない中の
ツアーであり、選曲も昨年に近い状態であったが、かつてない完成度、自分の中での気持ち
の高ぶりを感じた。


■2002年
4th HIVISION。自分のプライベートの状態にとてもマッチしていた、溢れる愛をこの
アルバムから受け取った。第1印象は前作Futuramaに比べて地味だったが、聴き込む
度に心が安らぐ。リラックスした空気も感じる。最高傑作だ。
2年連続出演のFUJIROCKでのステージ、昼間のホワイトステージでのリラックスした
彼らの姿、忘れない。
恒例冬のツアーでは、1stの曲のカバーなどファンサービスと言えば聞こえはいいが、
懐古主義的な空気が少し気になった。


■2003年
4thアルバムの次の一手がなかなか出ない。今思うと、やはり彼らにとっても最高傑作、
越えられない高い壁だったのかもしれない。アルバム先行シングル RECREATION。
正直、自分はこの曲からSUPERCARとの間に距離が生まれた。バンドサウンドに回帰、
とは言うものの明らかにバンドサウンド以後のサウンドであり、その割りに中途半端感が
否めない。自分の中でSUPERCARはいつも自分の感覚の先にいた存在であったのだが、
徐々にその差が縮まっているのが自分でもわかり、2002年終盤ですでに追いついて
しまった感を感じていた。そんな中で先導してくれるのであろうかと、淡い期待を寄せていた
この1手には全く先導は感じられず、むしろ大衆的でスタンダードなロックの方向を向き
始めた感じがした。それはオリジナリティーがないということではなく(むしろSUPERCAR
ならではの独特のバランス感はすごいと思うが)、聞き手と対話するような曲、演奏スタイル
になっていったということだ。彼らなりに大人になったということなのかもしれない。

このRECREATIONという曲を聞くと、当時プライベートでとても苦しかったことを思い出し
てしまう。つらい時期でした。
秋にもシングルは出るが、なんとなく惰性で買ってしまっていた。ツアーも毎回のルーティン
な感じで参加。ライブを見ると一層自分の気持ちよい感とは違う方向に向かっていて
(まぁそれが意外性で面白く感じたりもしたが)、どんどんSUPERCARとの溝が広がって
いく。


■2004年
シングル発売。少しいい感じで、アルバムで気持ちが戻るかなと淡く期待してみる。
アルバム発売。ジャケが派手で、かなり大々的に広告も打たれる。CCCDということもあり
なかなか聞く機会がもてない。車に乗るときに聞いたりしたが、このまとまりのない感じは
なんだろう。さらに疑問が深まる。ライブで全ての誤解が解けるか、と思い、ツアー参加。
やっぱりだめだ。作品の質とかの問題じゃなくて、感覚の次元が既に違う方向を向いている
ことを確信した。
すっかり情もうつっていた中で、フる覚悟を決めた。
プライベートではフられたのだが、フる側の気持ちというものがものすごくリアルに感じられ
て仕方がなかった。昔のように心が通じない。好きでいようと思えば思うほど辛くなる。
良し悪しじゃなくて、自分の感覚と埋められない距離感がある。それでもこれまでの情が
うつっているからフるのも辛い。複雑な気持ちなのですね。


■2005年
自分がフった後、新曲も出ず露出もなくそろそろ何かあるのかと思っていた矢先、解散の
告知。少々の驚きと同時にやっぱりか、という納得。2002年ごろからバランスの悪さ
(ジュンジの立ち位置のなさ)がとても気になっていたんだけど、恐らく原因はその辺では
ないかと推測してます。解散のコメントを見ても。ジュンジのコメントがやけに少ない。


好きだったバンドの解散を経験したのはJAMに続いて2回目(NUMBER GIRLも好きだが、
この2バンドほど執着はしていなかった)。なんだか解散したときの気持ちがJAMのときと
非常に近い。

自分の中で、音楽的にどうこう言うものじゃなくなってきているから、新曲が聴けなくなること
は全然問題じゃないんだけど、それ以前に受けた音楽的影響、音楽的以外の面で影響、
長い期間追っていた中での数々の思い出のことを嫌がおうにも思い出してしまい、どうにも
切ない気持ちになる。自分の非常に多感な時期、いつもそばにあった音源、存在だった
ので。

JAMには音楽に向かうキッカケ、音楽の主要な要素(音楽にノって楽しむ、音楽を生で体験
することで楽しむ、音楽を演奏することで楽しむ)について学び(今でも自分の柱になって
いる)、SUPERCARを追うことで割と一般的な音楽の地図、そして技術ではなく感性が音楽
において重要であることについて学んだり、それ以降の音楽地図を歩く上での道しるべとなる
数々の種がいつの間に蒔かれていた。

JAMの解散のときと異なるのは、JAMの解散時にはすでにSUPERCARを軸とした新たな
影響を受ける対象が明確に存在していたのに対し、今回は新たな影響を受ける明確な対象
が存在していない点である。

JAM と SUPERCAR と 私 というタイトルで始めさせてもらったが、そのタイトルどおり、
今度は誰かを追って影響を受けるのではなく、自分自身と向かい合うことで新しい世界に
向かっていったり、何かアウトプットしたり誰かに影響を与えたり、自分が軸になっていくの
ではないかと思う。実際最近そういうことを考えることが多い。一つの大きなものに影響を
受ける、というのはしばらくできない気がする。ただ、細かい点に関しては多くの人の影響を
受けるのは確かだが。

とにかく、SUPERCARありがとう。おつかれさまでした。
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by hiroscene | 2005-01-19 02:20 | Music*
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